18.12.8 354日目 イスラエル エルサレム

土曜日。イスラエル内の交通機関は安息日で全て止まる。
トラムも、バスも。
ただ、エルサレムからパレスチナ自治区へ行くバスは動いている。
なので今日はパレスチナ自治区にあるベツレヘムという街へ向かう。

パレスチナ自治区、名前だけ聞くと物騒なイメージしか無い。
ただベツレヘムも聖地であり観光地。行く分には問題が無いみたいだった。
パレスチナ自治区も色々な場所に分散している。
歴史も状況も、調べれば調べるほど、ややこしく、色々な話しがある。

安息日は全ての店が閉まると聞いていたけど、宿周辺のお店は半分以上が開いていた。
開いているほとんどのお店が、店内でサウジアラビアのメッカのリアルタイムの映像を流していたので、イスラム系のお店はあまり関係無いのかもしれない。
実際のところはよく分からないけど。

宿の目の前にあるバスターミナルから路線バスに乗る。
ベツレヘムまで40分で7シュケル、210円。
昨日旧市街で見かけた日本人二人組も一緒のバスだった。
イスラエルからパレスチナに入る場合は検問も無ければ、何も無い。

ベツレヘムに到着。
バス停の前には山ほどのタクシーの客引きがいた。
歩いて向かう。


十数キロの近い距離だけど、イスラエルとは若干雰囲気が変わる。
ユダヤ教からイスラム教に変わる。



生誕教会へ。
イエス・キリストが産まれたとされる場所に建つ教会。


中に入ると凄い人の数だった。
安息日の土曜日で観光客の考えることは同じなのかもしれない。

イエスが産まれたとされる場所に入るために長い行列があった。
ひとまず並ぶと、前にいた人が同じバスの日本人二人組だった。
2時間ぐらいかかりそうな列。
二人組は諦めるらしい。俺も時間をずらした方が良さそうだと思い、1回並ぶのをやめる。



教会から二人組と出て、裏手にあるミルク・グロットへ。
聖母マリアが母乳を零し、岩がピンク色に染まったとされる場所に建つ教会。






ここもたくさんの人。
二人は見終わるとエルサレムに帰るらしい。
ここで別れる。

再び生誕教会に行っても混んでそうなので、先に郊外に向かう。
教会は丘の上にある。ベツレヘムも坂の街。



生誕教会から2km、歩いて30分ぐらい。
バンクシーの壁画へ。
ついこの間、オークションにかけられた絵をシュレッダーで切断してニュースになってた人。
正体不明のストリートアーティスト。
バンクシーの壁画がパレスチナには9カ所あるらしい。
このベツレヘムにもいくつかある。

正直あまり興味が無かったけど、せっかくなので。
1番有名な花束を投げる青年。


街中の普通に営業しているガソリンスタンドの横の壁に書かれている。
観光客は俺だけで、周りは住宅街だし、普通に車も通行人も歩いて行くただの街角。
オークションにかけられた小さな絵が1億5000万円するのに、何も保護もされるわけでもなく野ざらし。
最初、地図を見ながら歩いている時に、マジでここかと疑ったし、見つけたときはマジでアレ?ってなる。



書かれているガソリンスタンド。



何となく行くかぁ、で来たけど、来て良かった。


聖誕教会に戻る。
帰りは上り坂だから時間もかかるし、暑かった。

教会に戻ると列は半分ぐらいに減っていた。
並んでみる。
ちょうど修道士の方達のお祈りの時間と被り、その時間は観光客は入れず、結局2時間ぐらい並んだ。
列の周りの人たちは、長時間並んでいるのもあって雰囲気がどんどん悪くなる。
中に入れるのが再開したら、列は押し合いになり、修道士の人たちが場所を考えろ!!と大声で制止する。

中へ。


半地下部分にある小さな部屋。
産まれたとされる場所で、みんなお祈りをする。




ここは聖地だけど、同じキリスト教でも、装飾も雰囲気もヨーロッパの教会とは違う。

バス停の方へ戻る。



車道の真ん中で、車の中の人にお茶を売るおじさん。


パレスチナはイスラエルに比べると若干物価が落ちる。
通貨も一緒だし、パレスチナはイスラエルに囲まれているのに。
税金も違うだろうし、政府が違うからなのか何なのか。

試しにシャルマ屋さんに入ると、イスラエルよりずっと安かったので、遅めの昼食。
シャルマとコーラで16シュケル、480円。


久しぶりのシャルマ、美味しかった。

コーラの裏がアラブ語。


バス停を通り過ぎて、ベツレヘムの北側へ。
バス停から歩いて30分ぐらい。
もう一つバンクシーの絵へ。
防弾チョッキを着た鳩。


ここもただの街中。商店が並ぶテナントの壁。
上から他の落書きされているし。


ベツレヘムではあっちこっちで落書きや壁画があるけど、このエリアからずっと多くなる。
バンクシー以外にもたくさんの落書きがある。

フリーパレスチナ。


鳩からすぐの、イスラエルとパレスチナの分離壁。
イスラエルが作った9mの壁。
歩いていたら、監視塔にいたイスラエル兵に元気か?と話しかけられる。


日本を出る数ヶ月前にトランプ大統領が、エルサレムをイスラエルの首都に認める発言をしていたのを思い出した。
この辺に来れなくなるからやめてくれと思ったのを思い出した。


壁には色々な人のたくさんの落書きがある。





ずっと続く壁。
テロを防ぐためとしながら、領土を侵し、パレスチナ人の自由を制限していると批判されている壁。


フムスはこっちのヒヨコ豆の伝統料理。



金槌を持った顔ハメ人形。


バンクシーが立てた、世界で1番眺めが悪いホテルと、バンクシーショップを覗いて帰る。
この壁にもバンクシーの絵があるらしいけど、見つけられず。
観光客はタクシーをチャーターして、絵を回るらしいけど、高いし歩いて2つ見れたからいい。
バンクシー以外も多いし。


バス停に戻り、エルサレムに帰る。
バスに乗ると、後ろに座っていたスカーフを巻いたイスラム教徒の女の人に、いきなり日本語で話しかけられる。
話すと、日本語を3年勉強しているらしい。
日本人だと思ったから話しかけてくれたらしかった。

色々な話しをした。
ベツレヘムでイラストレーターの仕事をしていて、家に帰る途中らしい。
日本語で難しいのは、~する、~される、~します、とかの言い回しの違いが覚えられないと。敬語と普通語の違いが難しいと。
持っていた10円玉をあげた。

どうしてパレスチナに来たの?と聞かれる。
彼女はパレスチナの人。
教会を見に来たんだと答える。
パレスチナどうでしたか?とか、何を食べましたか?とか、何が気になりましたか?とか聞かれた。返答に凄い気を遣う。
1日来ただけでは、ごっちゃになる。
観光かと聞かれたので、1年ぐらい世界をあっちこっちを回っていると答える。
羨ましいですと言われる。
こう返されることはよくあるけど、ここでは意味が変わる部分もある。
凄い日本語の上手な方だった。
いつか日本にも来て下さいと話して。


途中、イスラエルに入るところで、検問がある。
俺はパスポートとビザカードを提示するだけ。
あとで知ったけど、この検問でパレスチナ人はランダムでイスラエル入りを拒否されるらしい。
何の意味の無く、ただランダムで。
だから好きな時に越えられないし、エルサレムやお祈りにも行けない。
パレスチナは正式な国では無いので、パレスチナ人はパスポートが無い。
なので国外に行けない。実質自治区内だけになる。
ヨルダンへ難民として移った人が多いので、親族にいれば、その人を頼ってヨルダンパスポートを発給するらしい。
ヨルダンは難民受け入れも多く、パスポートも出すからと。

何事も無くイスラエルに戻る。

ベツレヘムを歩いていて思ったのは、よく話しかけられた。
子供達にも、よく挨拶をされた。
どこ出身かもよく聞かれた。
目が合うと、微笑んでくれる人が多かった。
夕方会ったタクシーの運転手達は、お前昼間バス停で見たわーとか話しかけてくれた。
ウズベキスタン以来の感じ。
客引きとか、からかいとかじゃなくて。
エルサレムではそんなこと無いし。


エルサレムに到着。また雨が降っていた。
夕食はまたペンネ。

今日もすぐ眠くなって寝た。



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