18.12.20 366日目 インド デリー

去年の12月19日、羽田発北京行きの飛行機で日本を出た。
北京でトランジットが8時間あって、シンガポールに向かった。
なのでシンガポールに着いたのが、去年の12月20日。

日記の数え日も、SNSの数え日も、たぶん1~2日ズレていた。
どこかで間違えてズレたか、シンガポールに着いた次の日から数えたのか、時差でどこかで間違えたか。
よく分からないけど、昨日が出国した日で、今日が着いて1年経つ日。

たぶん今日が366日目。
別に数える必要も無いし、何の意味も持たないけど。
数えてきてしまったから仕方ない。


ひとまず、昨日だか今日で日本を出て1年経つことになる。

国の数え方は何種類かあるけど、俺は国際連合加盟国の数え方で数えてきた。
その数え方だと全部で32カ国。
これだと台湾やチベット、パレスチナとかは入っていない。
他にも自治区や、未承認国家はたくさん途中にあった。

夜行移動や車中泊、ツアーでのテント泊など、どこに泊まったか分からない場所を除いて、宿を取って滞在した街の数は、全部で89都市だと思う。
ズレてるかもだけど。
日帰りとか、ツアーとかを入れれば、行った街は130都市ぐらいなのかな。
首都に泊まらなかった国は、ミャンマー、カザフスタン、トルコの3カ国。



まぁ、こんな物、相場も無いし、よく分からないけど、周りの人を見ている限り、俺はめちゃくちゃ遅いのだろう...。
まだユーラシア大陸にしか行っていない。
だいたい1年で世界一周する人が多いわけだし。
ただ、ほとんどの人が行かない、中国、中央アジアだけで5ヶ月ぐらいいたし...。
プノンペンで10日、ビシュケクで10日、アクタウで11日、キエフで17日もいたし...。


日本で準備をしている時に、1年6ヶ月ぐらいで漠然と予定していた。
理由は10ヶ月から1年で回る人が多い。
なので、もう少しゆっくり回ったとして、1年4ヶ月~6ヶ月ぐらいかなと。


地球を2周する人や、超長期で回る人、何度も出る人、一生をかける人も多い。
最初そういう人を見て、2年も3年も回るのはよく分からないなと思っていた。
正直、そうはならず早く帰ろうと思っていた...。
海外に住みたいとか、働きたいとか、語学を身につけたいとか無いし、と。

それが1年経ってコレである。
ワーホリビザも取ってしまった。
他に大陸は4大陸もある。

ただこの先のことは、今は分からないけど。
来週飽きて帰るかもしれないし。
オーストラリア行かないかもしれないし。
行って飽きて帰るかもしれない。

日本を出た時とこれは気持ちは一緒。


ただ、あの日シンガポールに着いた時よりも、今の方が楽しい気はする...。
全然飽きない...。何がというわけでは無いけど。
働くわけでも無く、遊んでいるだけだし、それなのにヤル気を失い寝ている時もあるし。
ただ飽きない。まだ進んでみたい。超ゆっくりだけど。

日本に帰りたいと思ったことは何度かある。
恋しいとかじゃなくて、全てが面倒臭くなったことが何度かあった。
1週間だけ日本に帰りたいとは、ずっと思っている。
生姜焼きと納豆と、くるまやラーメンのネギ味噌ラーメンは夢で見た事がある。

やる気を失ったというか、何もしたくない病は定期的に起きる。
ミャンマーのマンダレー、カンボジアのプノンペン、イタリアのフィレンツェでは何日間か何もしなかった。




1年経った。
日記なんだから、いつか今日の事も忘れるから、来年読めるように、1年経った今のことを長々と書く。


ここまで1年色々あった。
比較的今まで毎年楽しく過ごしてきたけど、やっぱりこの1年は濃かった。
そりゃそうだけど。
とても長かったし、あっという間だった気もする。
とにかく、思い出しても記憶と思い出が多すぎる。


シンガポールに着いた時、今思えば何も知らなかった。
宿の予約サイトすら知らず、街の人に安宿を聞いていた。
それはミャンマーのヤンゴンまで続いた。
他にも知らない事ばかりだった。

マレーシアではエアコンが寒すぎて風邪をひいた。

タイのバンコクのスネークファームで予防接種を受けた。
あの時に助けを求めたタッくんとミホさんとは、その後何度も合流することになった。1番長い時間を過ごすことになったし、また会うと思う。
バンコクまでは誰とも知り合わなかった。タイでは他にもたくさんの人と遊んだし、その後会う人もいた。

ラオスからカンボジアへのバスは途中で壊れて、乗り継ぎ出来ずよく分からない街で1泊した。翌日の振り替えバンは、チケットを買っていた目的地では無く、違う街へ深夜到着した。

カンボジアのシュムリアップでは、食べた何かで腹を壊して2日間寝込んだ。ジェニーが夜中俺の心配をしてくれた。あれ以来俺はお腹を一度も壊していない。

ミャンマーのヤンゴンではカンタくんのお母様に本当にお世話になった。
キンプンの山奥でバイタクの運転手と言い争いになった。
思えば、ミャンマーの1ヶ月でだいぶ何でも大丈夫になった。

ベトナムのフエでは原付で転んだ。

先輩に会いに台湾に行った。あの数日間は本当に楽しかった。あれ以来バンドのライブを見ていない...。

中国で、言葉がまったく通じなくても、まぁギリギリ何とかなることを知った。

モンゴルでは1週間のツアーだった。あの時一緒だった拓郎と来月また会えるらしい。

ウイグルのウルムチでは宿が見つからず1日歩いた。

中国とカザフスタンの国境で悪態をついたら跳び蹴りされた。こないだキエフで日本人から聞いたけど、あの国境の最近の情報の中に、最近蹴られた日本人がいるらしいという情報があるらしい...。それ俺ですと答えたけど...。あれが今までで1番長い1日だった。
ただその後、アルマトイまでご夫婦に車で乗せてもらった。今でもたまにメールのやり取りをする。

キルギスでタカくんと知り合った。彼とその後2ヶ月間一緒にいた。タイミングが合えばまた2月に会える。
その後ジョージアでトモくんと知り合ってトルコまで一緒だった。

ウズベキスタンとカザフスタンの国境から乗った白タクの運転手と、着いてから金額で揉めて、警察を呼ばれて朝方までかかった。

カザフスタンのアクタウでは11日間待ったけど船が来なかった。

トルコのギョレメではATMにカードが吸い込まれた。

トルコのイスタンブールでは、ぼったくりバーにあって、ツーリストポリスのお世話になってしまった。

スペインのバルセロナで、地下鉄の駅を歩いていた時に、スリにあってパスポートを失うところだった。

ロンドンでは宿で充電器をなくした。

エストニアの宿だと思うが、南京虫かダニに噛まれて体中が痒くなった。その後もやられた。最近は落ち着いたけど、酷くなってしまった3カ所はまだ痒い。ヨーロッパの乾燥もあったと思うけど。ウクライナで買った塗り薬は効いているのかどうかは分からない。

アルメニアで知り合ったユアンナ達にポーランドでまた会えて、6日間お世話になった。

3日前にヨルダンで、俺は困っていたところで、靴をもらった。



文章にしたら終わらない。まだまだ色々あった。
細かいことは毎日のようにあるけど。
ただまぁ何とか、特に凄い大きく何かを失うわけでも無く、とても怖い思いをするわけでも無く。

1番感謝するのは、俺は多分だいぶ体が強い。丈夫。
マレーシアで風邪、カンボジアで食当たりになった以外は、ここまで体調を崩すことが一切無かった。
2日間ぐらいなら一睡もせずに移動が出来た。
どこでも眠ることが出来た。
多少汚くても、多少劣悪でも、あまり気にならなかった。
水シャワーでも、ベッドが汚くても、まぁある程度平気だった。
他の日本人と話していても、たぶん俺の判断基準は他の人の平均より低い。
中東までは水道水を飲んでいたし。
まぁ日本でもそんなに変わらない生活していたし...。
インドでもそうだとありがたい...。



1番綺麗だった場所は、やっぱ1番の目的地だったモンサンミッシェルだった。
思い入れがあったから。
あとよく思い出すのは、アルメニアのセヴァン湖と、ロンドンのオアシスのジャケットの所。



予算は半分を下回ったぐらいになった。
ここまで平均して1日3000円ぐらい使っていた。中央アジア、東ヨーロッパでは1日1500円ぐらい。
ヨーロッパでは1日5000円を越えた。
1番使ったのはスペインからの1ヶ月間で、1ヶ月25万かかっていた。
1番使わなかったのはウズベキスタン前後で、1ヶ月4万ちょっとだった。
予算の減り方は日本で予想していた通りか、ちょっと良いぐらいだった。
お酒もほぼ毎日呑んでいたし、煙草も吸うから、他の人よりはかかる気もする。


日本を出た時、英語はまったく分からなかった。
5W1Hもあやふやだった。
旅行するうえで最低限の単語も知らなかった。
コーカサス地方ぐらいから若干勉強し、使うようになり、ホントに多少はマシになった。
今は宿や買い物、乗り物に乗る上では、ある程度は何を言っているのか分かるし、こっちの言いたいことを伝えられるようになった。
ただ、世間話はまだまだ無理。
ここまでの1年で、英語がまったく使えない国が半分ぐらいだった。
この先も割合はそんなもんな気がする。


荷物はいらない物をどんどん捨て、必要な物を買い足して、今はだいぶベストな状態だと思う。
もう長いこと消耗品以外の買い物をしていない。
重さもLCC規定以内。ある程度の暑さにも寒さにも対応出来る。
今バックパックには調味料と煙草も2カートンあるからパンパンだけど、ある程度の余裕もある。
携帯のバッテリーの消耗が最近激しくて、そろそろ寿命かと思うぐらい。


語学と荷物だけで無く、1年前のシンガポールに着いたあの日、俺は何も知らなかったし、何も分からなかった。
色々な人に情報とデータをもらい、色々なパターンに遭遇し、1年がたった。
それでも次から次へとトラブルも、よく分からないことも起きる。
これはずっとだと思うけど。



こんなの書いても、まだ終わりじゃ無いし。
書いていない事の方が多いけど。
ただ本当に色々なことがあった。
1年後、この文章を見た時に、きっと今の事は忘れているから、今のこの感じが伝わるように。

とにかく、たくさんの人にお世話になった。
それが1番ありがたいし、ここからもたくさんの人にお世話になると思う。


この1年で良かったなと思えるのは、1番良いことな気がするなと思えるのは、色々な単位の大きさを身をもって知れた。

1kmがどのぐらいの距離なのか。
歩くとどのぐらいの時間なのか。
この気温で、この荷物を持ってだと、どのぐらいしんどいか。
100kmも、1000kmも。日本にいた時よりも分かった。
標高も、気温も、時間も。

30時間の移動がどのぐらいかも。
17kgのバックがどのぐらいかも。
1万円がどのぐらいかも。
そして、1時間も1kmも1万円も、まぁいいかと思える判断が増えた。



こんな所かなぁ...。こんな大げさな物でも無いけども。
そんな事より、インドがまずよく分からないけど。






12月20日

昼前に起きる。
昨日入れなかったし、風呂に行く。
お湯を回すが、水しか出ない...。

個室を替えるが、やはり水しか出ない...。
他の人に聞いても、みんな水らしい。

仕方ないので水で入る。
夏のインドならいいだろうけど、12月のインドでは普通に寒い...。
水シャワーは、アルメニアのセヴァン湖以来。
ここまで冷たいのはミャンマーのキンプン以来。

なんか一応お湯も出るらしいけど、タンクがあまりにも小さいっぽい。
お湯で入れるのは朝一の最初ぐらいなのか...。



風呂から出ると、また寝てしまった。
4時間ぐらい寝た。
昨日の移動で、まだ寝たり無かった。

起きたら日本のお世話になっている先輩から連絡が来て、結婚されると聞く。
また結婚...。何人目だろう...。
久しぶりに電話をして、色々話した。


遅めの昼食を食べに外に出る。
周りを見て回ったがあまり良さげなお店が無いので、昨夜と同じカレー屋に入る。
昨日とは違うチキンカレー。


190ルピー、320円。昨日のよりこっちの方が美味しかった。
米がインド米で、これが微妙...。


宿に戻っても、ずっとボケっとする。
夜からは日記を書いたり、少し調べたりして。


21時過ぎに再びご飯へ。
違うお店がご飯込みでもう少し安くしてくれたので。


チキンカレー、150ルピー、240円。
骨付き肉。完全に中が生だったけど。
安宿街だから外国人向けな気がする。高いのか、まだ分からない...。


戻って、グダグダ過ごす。
デリーは長めに滞在するつもりでいた。
調べ物もしたいし。今から年末年始だし。

ただ、今の宿は安いし良いんだけど、水シャワーがさすがに寒い...。
風呂に入る気にならないし、洗濯も億劫になる。
近くの他の宿を探す。

100円プラスぐらいで、お湯が出そうな安宿が近くにある。
そこに移ろうかとか思いながらも、日本人宿も調べると、それも近い。
インドの日本人宿は、チェーン展開していてインドに何店舗かある。
多分世界で一番有名な日本人宿。
名前は昔から知っていた。
少し値段は上がるけど、そっちに明後日移ることにした。
行ってみたいし、インド広いから情報欲しいし。
物価とかも知りたいし。

昼間寝すぎたから全然寝られず。
朝方就寝。




にほんブログ村


にほんブログ村

コメント

このブログの人気の投稿

18.6.15 178日目 新疆ウイグル自治区 ウルムチ→ホルゴス

18.7.2 195日目 ウズベキスタン タシケント

日記の移動。