18.12.18-19 363~364日目 ヨルダン アンマン→インド デリー

12月18日

ヨルダンのアンマンから、インドのニューデリーに向かう日。
朝8時過ぎに起きて朝食を食べる。
今夜は深夜移動なので再び寝る。
10時半に起きて荷造りしてチェックアウト。

アンマンで3泊した宿。
中国以来の室内喫煙可の宿で、そのため窓がずっと開いているので1日中寒かった。
あと、シャワーがちゃんと温水だけど、ビックリするぐらい水圧が弱い。
チョロチョロ。中東に来て1度も風呂事情には恵まれなかった。


宿の人に、深夜発の飛行機だから宿の共有スペースにいていいか聞くと、お前は良い客だからいいよー、と言われる。
それより宿予約サイトの口コミを書いてくれよー、と言われる。
コーヒーもくれる。
こういう感じだと逆に気持ちいい。
シャワー以外は凄い良い場所だったし、口コミは設備の本当の事だけを書いて、評価を満点にして投稿した。

ここの宿のスタッフは終始チャラかった。
俺や他の男性客にはほとんど話しかけてこないが、アジア人の女性には1日中話しかけていた。隣にずっと座り、お互いの国の事とか、観光地の事とか。
あきらかに、見ていて気持ちいいぐらいに。
アラブってこういう事なのかなぁと。


午後はノンビリした。
書き溜めてあった日記をあげたりして過ごす。


夜、夕飯を食べに行こうと、昨日近くで見かけた賑わっていたハンバーガー屋に行くが、残念ながら閉まっていた。
初日に食べたパン屋も閉まっている。
周りをフラつくが他にお店が無い。

仕方ないので、一昨日食べたピザみたいなパン屋と、昨夜行った卵パンのお店に行って買って帰って食べる。合わせてJD2、320円。



21時、荷物をまとめて空港へ向かう。
シャトルバスが出る、北バスターミナルへ向かう。
バスターミナルまでは距離があり、公共交通機関が無いので仕方なくタクシー。
宿の人にタクシーの相場を聞くと、丁寧に紙に書いて説明してくれて、一緒に道に出てタクシーを止めて平均額で交渉してくれた。

タクシーに待ってもらって、再び俺を宿の中に連れて行くと、
アンマンのタクシーは危ないから、絶対に向こうからのお釣りを受け取るまでお金は渡さないこと。
何かあったらナンバーを写真に撮り自分に連絡しなさい。
バスターミナルではタクシーの運転手達が、空港までのバスはここには無い、タクシーしか無いと嘘をついてくるから、絶対に騙されないでね。
と、何から何まで注意事項を教えてくれた。
最後までめちゃくちゃいい人達だった。
アンマン、サンライズホテル。


タクシーで20分ぐらい。JD2、320円。
お釣りももらえて、特に何も無く、北バスターミナルに到着。
タクシーの客引き以外誰もいない、暗いし静か。


やってるのかよく分からない、看板も無い事務所でバスのチケットを買う。
JD3.3、500円ちょっと。


余ったコインで久しぶりに甘いコーヒーを売店で買って待つ。
20分ぐらいでバスが来た。お客は数人だった。


1時間後、アンマン空港へ到着。
ヨルダンかと疑うぐらい綺麗で立派な空港。


思っていた以上にヨルダン通貨が余る。
国立公園とかも行かなかったし。
3000円ぐらい余ったので両替所へ向かう。
インドルピーはさすがに無く、米ドルに替える。
インドでヨルダンディナールが両替出来る気がしないし。
レートも空港なのにそこまで悪くなかった。


到着口で、盛大に民族音楽を鳴らし、家族を出迎える人たち。
みんなで空港の前で大音量で踊っていた。深夜0時。


チェックインは何事も無く。インドの事も聞かれず。








12月19日


深夜1時25分発、オマーン航空、オマーンの首都マスカット行き。


機内食で久しぶりに米を食べる。
美味しくはなかった。


マスカットまでは3時間15分。
アンマンを出ると、すぐにサウジアラビアの上空に入る。
窓からはサウジアラビアの夜景が見える。
サウジアラビアは日本人にとって、もっとも入ることが困難な国。
だいたいの国は情勢が不安定でも、入ることは出来る。
ただサウジアラビアだけは、そもそも入れない。外国人を受け付けていない。
イスラム教に改宗するか、サッカーの日本戦が現地で無いと入れない。
上から見るだけでも不思議な感じ。



2時間飛ぶと、今度はペルシャ湾の西側の夜景が見える。
バーレーンやカタールが地図の形のまま上空から見える。
楽しくて全然寝られなかった。


オマーンのマスカットに到着。
時差は+2時間で7時に到着。

今まで行った空港の中で、ダントツで豪華な空港。
デカいし。
産油国だからなのか。



ここで6時間以上のトランジットがある。
1度外に出ようとするが、日本人はビザが必要らしい。
お金がかかるので空港の中で、とにかく待つ。

最初みんな寝ていたから、免税店脇のソファーで寝た。
1時間ちょっと寝ていたら係員にここで寝るなと起こされる。
周りはもう誰も寝ていなかった。

場所を替えて、みんな地べたで寝ていたラウンジみたいな場所に行く。
聞くと無料らしい。凄い。
ソファーはあいてなかったので、地べたで寝る。


爆睡した。
飛行機の1時間前に起きる。

13時15分発、インドのデリー行き。
デリーまでは3時間。

搭乗の時にインドビザの提示があった。
evisa取っておいて良かった。


機内はほとんどがインド人。
機内からもうインドだった。席のスペースの取り合いを終始して。
めっちゃ息かけてくるし。
こういうのに慣れないのが、俺は日本人なんだなと毎回思う。
1年経っても慣れない。

機内食はこれとナンが出た。
今日からは米が食える。


デリー到着。
時差はオマーンから+1時間半、ヨルダンからは+3時間半。
今までで、もっとも時差があった移動。プラスはほとんど無かったし。
着くともう19時。損した気持ちになる。

着いた時、たまたま隣に着いた飛行機が日本航空だった。
降りてすぐの喫煙所や、入国審査場が日本人ばっかりだった。
どこかで知り合う日本人ではなく、さっきまで日本にいた日本人。
雰囲気が全然違う。1年ぶりに見た気がして、凄い懐かしかった。


evisaは専用のゲートで、ガラガラだった。
質問は全然無かった。申請時に記入した親の名前を聞かれたぐらい。
結局、出国に関しては一切聞かれず。
せっかくダミーチケット取ったのに。

32カ国目、インド。
ついにインド。
最後に来ようと思っていた国。このタイミングになってしまった。
タイミングはインドに呼ばれると言うけど。全然呼ばれてないけど。

10年ぐらい前に地球の歩き方読んで以来ずっと来てみたかった。
その時の地球の歩き方に、「ここを天国と思うか、地獄と思うかは、それはあなたしだい。」とガンジス川の写真と一緒に見開きで書いてあった。
そんな地球の歩き方が初めてでビックリしたのを覚えている。

それ以来行った人の誰に聞いても、好き嫌いがハッキリする国。
全員が面倒臭い体験を話す国。

色々な人のパスポートで見た、インドの入国スタンプをもらえた。
何度も見たインドルピーをATMでおろす。


デリー空港から中心地は、メトロか、路線バスだった。
メトロの方が40円高いが、時間は20分で着く。

ただ何となく外が見たくて路線バスに乗った。
1時間かかるらしいけど。運賃は75ルピー、120円。

外に出ると、空気がめちゃくちゃアジアだった。
気温はヨルダンとそこまで変わらず、寒かった...。
ただジワッとした感じというか、匂いというか、東南アジアのそれに近い。
久しぶりだった。

バスが来ると、押し合うようにパンパンに人が乗る。
まだ全員乗ってないのに、バスは走り始め、動いているバスに飛び乗る。
ドアは開けっ放しで走り出す。
クラクションが鳴り続ける。他の車もずっと鳴らしている。
ずっとパッシングしている。
何もかもが久しぶりだし、見たことのあるそれとも違う。
何故かは分からないけど、こういう国に着いたときの方が楽しい。


バスは渋滞にハマったりして、1時間半で到着。
途中で座ったら寝てしまって、隣の人が起こしてくれた。

予約していた宿はバス停から1km。
歩いて向かう。
町中クラクションの音や色々な音がして騒がしい。
車の運転が荒く、何度かひかれそうになる。
こういう車のよけ方と、歩道の渡り方を忘れてしまっている。

バス停から20分歩くと、いきなり街の雰囲気が悪くなった。
ダウンタウン感が出た。
道はゴミだらけになり、服装も変わり、道端は露天やよく分からないお店が増える。

その中をもう20分歩き宿へ。
いわゆる安宿街っぽかった。
バンコクのカオサン通りから、観光色が抜けたような。
全然こっちの方が汚いし騒がしいけど。
というか今まででダントツで騒がしいし、汚い。
あと日本語で話しかけてくる、うさん臭い奴がめちゃくちゃいる。

宿に荷物を置く。1泊490円。
デリーで3番目ぐらいに安い場所。
立地と綺麗さを見たらここだった。

宿の周りは、22時でもまだ賑わっていた。
何軒か見て、数件隣のお店で夕食を食べる。
物価がまだつかめないけど。

チキンカレー。190ルピー、320円。
安い。米もカレーも凄い嬉しい。


宿に戻り、風呂に入ろうとするが、水が出なかった。
宿の人に聞くと、あと30分後かな~、まぁ明日の朝には出るよ~と言われる。
こういうのも久しぶり。全然大丈夫。
まぁ24時間移動の後のこれは悲しいけど。

そのまま寝た。




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