18.10.25 310日目 ポーランド クラクフ
ポーランド最終日。
クラクフに来て1週間。彼女たちに再会して6日。
突然来た俺を、仕事も授業も、普段の生活もあるはずなのに、毎日遊んでくれて、毎晩泊めてくれて、毎食ご飯をごちそうになった。6日間も。
ありがとうと何度言っても、彼女たちは、あなたはお客さんよ、当然、と毎回笑ってくれた。
外国で貴重な体験が出来たとか、現地の生活が体験出来たとか、そんなんじゃなくて。
感謝してもしきれない。6日間も、彼女たちに甘えてしまった。
長い時間いさせてもらってありがとうと言っても、全然長くは無いわよと笑ってくれた。
この日もパンを朝食でいただいた。
このあと、すぐに地元のレストランに行くから、簡単な朝食よと。
支度して、荷造りをする。
お昼前にユアンナとアレックと、一昨日泊まっていた彼女の友達と4人で歩いて15分ぐらいのご飯屋さんに向かう。
彼女のおススメの地元のお店らしい。
ユアンナと同じものをいただく。
安くて美味しいからと。
カツとマッシュポテト。2種類のサラダと、クラムチャウダー、それと甘いジュース。
これで400円ぐらいだった。
めちゃくちゃ美味しかった。
俺でも分かるぐらい地元の味。
パンを食べてそんなに時間もたってなかったので、お腹いっぱいになる。
中央アジアでもよく見た、甘いジュースだけは、独特の味で苦手だった。
食べて、マンションに戻る。
ユアンナはとにかく毎日俺のご飯の心配をしてくれた。
1日に何度もお腹がすいてないか聞いてくれた。
おかげで毎日お腹いっぱいだった。
彼女は、彼女のお母さんに日本人が部屋に泊まっていると電話で話したらしく、お母さんは何度も「その人にちゃんと食べさせてる?何食べさせてるの?」と聞くからと。
次にクラクフに来たら私の実家に行きましょうと言ってくれた。
泊めてもらっていた、ユアンナの部屋。
煙草を吸う時に見た窓からの景色。
彼女は煙草を吸う時に毎回俺を誘ってくれて、何度もここで一緒に煙草を吸った。
出発前に最後に写真を撮ってもらって。
今夜は、音楽学校の無料のコンサートに連れてってくれると聞いていた。
最初金髪のユアンナは仕事で行けないって話だったけど、シフトを友達に代わってもらったらしく、一緒に行けることになった。
夕方、荷物をまとめてトラムで中心部へ。
黒髪のユアンナの家に向かい、荷物を置かしてもらう。
音楽学校に向かう。
旧市街のはずれにあって、歩いて向かう。
コンサートは学校の創立170周年記念のコンサートらしい。
教授達の演奏だと。
170周年ってのも凄い。彼女たちの大学は400年続くらしい。
会場は学校に併設の小さなホール。
俺はヨーロッパでなんでもいいからコンサートが見てみたかった。
ピアノでも、クラシックでも、オペラでも、なんでもいいから1回見てみたかった。
日本で、地元で何度も見てきたから、雰囲気だけでも見てみたかった。
こういう形で叶うと思ってなかった。
チケットを買って、一人で格式高いような場所で見ることになるかなと思っていたから、こっちのがよっぽど貴重で、嬉しかった。
夢だったんだ、ありがとうと、何度も言った。
お客さんは関係者みたいな方でいっぱいだった。
2台のグランドピアノがステージにあった。
教授たちが順々に代わる代わる演奏していく。
司会の方が、演目紹介ごとに出てきて、ジョークを言って会場を笑わせるけど、それだけは分からない。
曲はポーランド出身の作曲家中心のクラシックで。
前衛的な編曲も多くて、弦の下に鉄板を挟んだり、弦を叩いたり、新しい奏法で演奏する曲も多かった。
ピアノ以外にも、バイオリンも、コントラバスも、管楽器もあった。
2時間ほどで終了。
心から楽しかった。
クラクフの最後のいい思い出になった。
帰る。
スーパーに寄って買い物をする。
コーヒー屋に寄って、二人は2つココアを買っていた。
すると、俺に一つくれた。
甘いの好きでしょ?と。
そのあと中央広場で、二人はちょっと買い物があるから待っててと言ってお店に入っていった。
5分ぐらい待っていると、二人は出てきて、「これプレゼント、お土産。」とクラクフの中央広場が包装紙に描かれたチョコレートをくれた。
嬉しすぎた。何度もありがとうとしか言えなかった。
最後まで、色々と迎えてくれた。
黒髪のユアンナの家について、また夕食をいただいた。
トマトリゾット。
米よ、好きでしょ?と。
美味しかった。
飛行機は早朝発だった。
このまま空港に行って、空港で寝ようと思っていた。
その旨を話すと、彼女たちは何でよ、ギリギリまでここにいなさいと。
あまえることにした。
ネット情報では深夜は路線バスが無くて、高いシャトルバスしかないと書いてあったけど、彼女たちは深夜でもあるよと。
折り鶴以外、何か渡せる物は無いかと考えた時、そういえば俺、日本食を持っていたことを完全に忘れていた。
バックパックの普段開けない場所に入っていたから、完全に忘れていた。
久しぶりに見ると、見事に賞味期限が切れたインスタントの味噌汁が出てきた。
日本の食べ物は賞味期限に強い、たぶん大丈夫、たぶん...と言って全て渡す。
4袋あって、ユアンナ二人と、友達と、妹さんに。
送別会でいただいた味噌汁は、結局飲むこともなく、ここで渡すことになった。
アフリカとかで重宝するだろうと、飲まなかったけど、これで良かった。
思い出してよかった。
流石にインスタントというのも珍しいみたいで、喜んでくれた。
試しに一食作る。
1袋3食入りで、乾燥薬味と味噌が別で入っているというのも珍しいみたいだった。
作り方を教える。
外国の人は、味噌は薬の味がして苦手とか、海藻を食べる文化が無いとかで苦手とかで、大丈夫か聞くと、日本食料理屋で食べたことがあるから平気と言って、食べてくれた。
良かった。
彼女たちが行ったことのある、クラクフの日本食レストランのHPを見せてくれた。
料金はどう考えても、地元の料理より高くて、よく外国で見る、よく分からない日本食だった。
これは日本には無いし、このメニューは俺は知らない。
これは中華料理で、これは名前は日本食だけどタイ料理に近いとか、一つずつ説明した。
え?マジ?みたいな感じだった。
まぁそうだよね、俺が日本で食べるヨーロッパの料理や、ポーランドの料理も本場とは違うだろうしみたいな話をして。
いつか日本に来てね、料理は絶対に美味しいし、本場のちゃんとしたやつを食べてもらいたいからと話して。
空港に行くまではゆっくりいさせてもらう。
金髪のユアンナは友達たちと、職場にいる同僚が、絶対アイツはゲイだという話で爆笑していた。
ひと通り話すと、俺に会話の内容を説明してくれる。
世界中のガールズトークの内容は一緒だ。と答えると、彼女たちは爆笑した。
「テンションもでしょ?」と言われ、そうだよと答えると爆笑していた。
日本語を勉強している黒髪のユアンナに、ひらがなで手紙を書いた。
ひらがなで分かりやすく文章を書くというのが初めてで難しかったけど。
いつか読めるかなと思ったけど、渡したら「ひらがなだから簡単。読める。」と言っていた。
深夜1時過ぎ、金髪のユアンナが自分の家に帰る終電の時間が来た。
今日の夕方ぐらいから彼女は、アルメニアのバス停で別れた時のような悲しい時が今夜あるのよ?と言っていた。
何度も感謝を伝えて、彼女は本当に寂しいと言ってくれた。
アルメニアのバス停で1度ハグをしたような感じではなくて、彼女はハグしたら離さなくて、けっこうな時間別れを惜しんだ。
黒髪のユアンナはそれを見て笑っていた。
これはアルメニアの4日間では無く、クラクフでの6日間でのものだった。
外国の観光客ではなく、ただの友達だった。
そう思ってくれてるのが分かるから、嬉しかった。
また必ず、いつになるか分からないけど、クラクフに来るからと。
ここまでの10カ月、そう思った場所は無かった。
俺のこれは、終わったら次に進むだけの毎日だった。
彼女はギリシャに着いたら、連絡をちょうだい。
あと必ず写真も送ってねと。
最後彼女は山ほどの投げキッスを俺にして帰っていった。
1時間して、深夜2時過ぎ。
黒髪のユアンナと同居人がバス停まで送ってくれた。
彼女たちは、明日の午前は何も無いから遅くても大丈夫と言ってくれた。
ユアンナと、バスが来るまでの少しの時間、最後の会話をして。
また来るから、また会ってねと。
バスが来て、センキュー、ありがとう、ジンクイエと言って、バスに乗った。
俺の英語力では全ては分からない。
彼女たちは本当に6日間、俺に付き合ってくれた。
何から何まで迎えてくれて、色々なものをいただいた。
必ず返せる日が来たらいいなと。
ミャンマーもそう、カンボジアもそう、カザフスタンもそう、トルコもそう。
それだけじゃない、各国で俺はたくさんの人にお世話になってきた。
日本を出た時に想像してなかったほどに、何倍も。
アルメニア、俺とタカ君とトモ君は行くことをあの時迷っていた。
ただ、まぁこの先行く機会もない国だから行こうと三人で話して行った国だった。
こんなことになるとは思ってもいなかった。
きっとその繰り返し。
また会う時も、返す時も必ず来る。
素晴らしい、最高の6日間だった。
路線バスで40分。
クラクフ空港へ。
彼女達のおかげで空港で寝ることもなく、少ししてからチェックインして、朝方飛行機に乗る。
ウクライナ航空、ウクライナのキエフ経由、アテネ行き。

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クラクフに来て1週間。彼女たちに再会して6日。
突然来た俺を、仕事も授業も、普段の生活もあるはずなのに、毎日遊んでくれて、毎晩泊めてくれて、毎食ご飯をごちそうになった。6日間も。
ありがとうと何度言っても、彼女たちは、あなたはお客さんよ、当然、と毎回笑ってくれた。
外国で貴重な体験が出来たとか、現地の生活が体験出来たとか、そんなんじゃなくて。
感謝してもしきれない。6日間も、彼女たちに甘えてしまった。
長い時間いさせてもらってありがとうと言っても、全然長くは無いわよと笑ってくれた。
この日もパンを朝食でいただいた。
このあと、すぐに地元のレストランに行くから、簡単な朝食よと。
支度して、荷造りをする。
お昼前にユアンナとアレックと、一昨日泊まっていた彼女の友達と4人で歩いて15分ぐらいのご飯屋さんに向かう。
彼女のおススメの地元のお店らしい。
ユアンナと同じものをいただく。
安くて美味しいからと。
カツとマッシュポテト。2種類のサラダと、クラムチャウダー、それと甘いジュース。
これで400円ぐらいだった。
めちゃくちゃ美味しかった。
俺でも分かるぐらい地元の味。
パンを食べてそんなに時間もたってなかったので、お腹いっぱいになる。
中央アジアでもよく見た、甘いジュースだけは、独特の味で苦手だった。
食べて、マンションに戻る。
ユアンナはとにかく毎日俺のご飯の心配をしてくれた。
1日に何度もお腹がすいてないか聞いてくれた。
おかげで毎日お腹いっぱいだった。
彼女は、彼女のお母さんに日本人が部屋に泊まっていると電話で話したらしく、お母さんは何度も「その人にちゃんと食べさせてる?何食べさせてるの?」と聞くからと。
次にクラクフに来たら私の実家に行きましょうと言ってくれた。
泊めてもらっていた、ユアンナの部屋。
煙草を吸う時に見た窓からの景色。
彼女は煙草を吸う時に毎回俺を誘ってくれて、何度もここで一緒に煙草を吸った。
出発前に最後に写真を撮ってもらって。
今夜は、音楽学校の無料のコンサートに連れてってくれると聞いていた。
最初金髪のユアンナは仕事で行けないって話だったけど、シフトを友達に代わってもらったらしく、一緒に行けることになった。
夕方、荷物をまとめてトラムで中心部へ。
黒髪のユアンナの家に向かい、荷物を置かしてもらう。
音楽学校に向かう。
旧市街のはずれにあって、歩いて向かう。
コンサートは学校の創立170周年記念のコンサートらしい。
教授達の演奏だと。
170周年ってのも凄い。彼女たちの大学は400年続くらしい。
会場は学校に併設の小さなホール。
俺はヨーロッパでなんでもいいからコンサートが見てみたかった。
ピアノでも、クラシックでも、オペラでも、なんでもいいから1回見てみたかった。
日本で、地元で何度も見てきたから、雰囲気だけでも見てみたかった。
こういう形で叶うと思ってなかった。
チケットを買って、一人で格式高いような場所で見ることになるかなと思っていたから、こっちのがよっぽど貴重で、嬉しかった。
夢だったんだ、ありがとうと、何度も言った。
お客さんは関係者みたいな方でいっぱいだった。
2台のグランドピアノがステージにあった。
教授たちが順々に代わる代わる演奏していく。
司会の方が、演目紹介ごとに出てきて、ジョークを言って会場を笑わせるけど、それだけは分からない。
曲はポーランド出身の作曲家中心のクラシックで。
前衛的な編曲も多くて、弦の下に鉄板を挟んだり、弦を叩いたり、新しい奏法で演奏する曲も多かった。
ピアノ以外にも、バイオリンも、コントラバスも、管楽器もあった。
2時間ほどで終了。
心から楽しかった。
クラクフの最後のいい思い出になった。
帰る。
スーパーに寄って買い物をする。
コーヒー屋に寄って、二人は2つココアを買っていた。
すると、俺に一つくれた。
甘いの好きでしょ?と。
そのあと中央広場で、二人はちょっと買い物があるから待っててと言ってお店に入っていった。
5分ぐらい待っていると、二人は出てきて、「これプレゼント、お土産。」とクラクフの中央広場が包装紙に描かれたチョコレートをくれた。
嬉しすぎた。何度もありがとうとしか言えなかった。
最後まで、色々と迎えてくれた。
黒髪のユアンナの家について、また夕食をいただいた。
トマトリゾット。
米よ、好きでしょ?と。
美味しかった。
飛行機は早朝発だった。
このまま空港に行って、空港で寝ようと思っていた。
その旨を話すと、彼女たちは何でよ、ギリギリまでここにいなさいと。
あまえることにした。
ネット情報では深夜は路線バスが無くて、高いシャトルバスしかないと書いてあったけど、彼女たちは深夜でもあるよと。
折り鶴以外、何か渡せる物は無いかと考えた時、そういえば俺、日本食を持っていたことを完全に忘れていた。
バックパックの普段開けない場所に入っていたから、完全に忘れていた。
久しぶりに見ると、見事に賞味期限が切れたインスタントの味噌汁が出てきた。
日本の食べ物は賞味期限に強い、たぶん大丈夫、たぶん...と言って全て渡す。
4袋あって、ユアンナ二人と、友達と、妹さんに。
送別会でいただいた味噌汁は、結局飲むこともなく、ここで渡すことになった。
アフリカとかで重宝するだろうと、飲まなかったけど、これで良かった。
思い出してよかった。
流石にインスタントというのも珍しいみたいで、喜んでくれた。
試しに一食作る。
1袋3食入りで、乾燥薬味と味噌が別で入っているというのも珍しいみたいだった。
作り方を教える。
外国の人は、味噌は薬の味がして苦手とか、海藻を食べる文化が無いとかで苦手とかで、大丈夫か聞くと、日本食料理屋で食べたことがあるから平気と言って、食べてくれた。
良かった。
彼女たちが行ったことのある、クラクフの日本食レストランのHPを見せてくれた。
料金はどう考えても、地元の料理より高くて、よく外国で見る、よく分からない日本食だった。
これは日本には無いし、このメニューは俺は知らない。
これは中華料理で、これは名前は日本食だけどタイ料理に近いとか、一つずつ説明した。
え?マジ?みたいな感じだった。
まぁそうだよね、俺が日本で食べるヨーロッパの料理や、ポーランドの料理も本場とは違うだろうしみたいな話をして。
いつか日本に来てね、料理は絶対に美味しいし、本場のちゃんとしたやつを食べてもらいたいからと話して。
空港に行くまではゆっくりいさせてもらう。
金髪のユアンナは友達たちと、職場にいる同僚が、絶対アイツはゲイだという話で爆笑していた。
ひと通り話すと、俺に会話の内容を説明してくれる。
世界中のガールズトークの内容は一緒だ。と答えると、彼女たちは爆笑した。
「テンションもでしょ?」と言われ、そうだよと答えると爆笑していた。
日本語を勉強している黒髪のユアンナに、ひらがなで手紙を書いた。
ひらがなで分かりやすく文章を書くというのが初めてで難しかったけど。
いつか読めるかなと思ったけど、渡したら「ひらがなだから簡単。読める。」と言っていた。
深夜1時過ぎ、金髪のユアンナが自分の家に帰る終電の時間が来た。
今日の夕方ぐらいから彼女は、アルメニアのバス停で別れた時のような悲しい時が今夜あるのよ?と言っていた。
何度も感謝を伝えて、彼女は本当に寂しいと言ってくれた。
アルメニアのバス停で1度ハグをしたような感じではなくて、彼女はハグしたら離さなくて、けっこうな時間別れを惜しんだ。
黒髪のユアンナはそれを見て笑っていた。
これはアルメニアの4日間では無く、クラクフでの6日間でのものだった。
外国の観光客ではなく、ただの友達だった。
そう思ってくれてるのが分かるから、嬉しかった。
また必ず、いつになるか分からないけど、クラクフに来るからと。
ここまでの10カ月、そう思った場所は無かった。
俺のこれは、終わったら次に進むだけの毎日だった。
彼女はギリシャに着いたら、連絡をちょうだい。
あと必ず写真も送ってねと。
最後彼女は山ほどの投げキッスを俺にして帰っていった。
1時間して、深夜2時過ぎ。
黒髪のユアンナと同居人がバス停まで送ってくれた。
彼女たちは、明日の午前は何も無いから遅くても大丈夫と言ってくれた。
ユアンナと、バスが来るまでの少しの時間、最後の会話をして。
また来るから、また会ってねと。
バスが来て、センキュー、ありがとう、ジンクイエと言って、バスに乗った。
俺の英語力では全ては分からない。
彼女たちは本当に6日間、俺に付き合ってくれた。
何から何まで迎えてくれて、色々なものをいただいた。
必ず返せる日が来たらいいなと。
ミャンマーもそう、カンボジアもそう、カザフスタンもそう、トルコもそう。
それだけじゃない、各国で俺はたくさんの人にお世話になってきた。
日本を出た時に想像してなかったほどに、何倍も。
アルメニア、俺とタカ君とトモ君は行くことをあの時迷っていた。
ただ、まぁこの先行く機会もない国だから行こうと三人で話して行った国だった。
こんなことになるとは思ってもいなかった。
きっとその繰り返し。
また会う時も、返す時も必ず来る。
素晴らしい、最高の6日間だった。
路線バスで40分。
クラクフ空港へ。
彼女達のおかげで空港で寝ることもなく、少ししてからチェックインして、朝方飛行機に乗る。
ウクライナ航空、ウクライナのキエフ経由、アテネ行き。

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