18.6.16 179日目 新疆ウイグル自治区 ホルゴス→カザフスタン アルマトイ
本当に本当に長い1日だった。
俺が中国での日程を書いた物や、切符を買うために中国漢字で書いたメモ。
それをもうOKと言われたからしまおうとしたら、違う奴に取り上げられて、仲間で読んで笑っていた。
中国だけでも4度目の陸路国境。ちゃんと緊張していたし、何があってもスンナリ抜ける事だけを考えていた。
ただ、彼らのやり方と態度には、腹が立ってしまっていた。
乗せてくれると言った中国人の方は、ヤーシンさんという名前だった。
30歳で、奥さんは同い年のカザフスタン人らしい。
奥さんと奥さんのお母さんが迎えに来るという。
5歳のお子さんがいて、アルマトイに住んでいるらしい。
待っている間、北野武が好きだとか、日本の曲が好きだと色々教えてくれた。
今の君にピッタリだと言って、玉置浩二を流してくれて笑った。
20分ぐらい待つと、奥さんとお母さんが迎えに来てくれた。
二人とも凄く優しくて、乗せてってくれることを快諾してくれた。
車に乗ると、お茶とたくさんの食べ物と果物をいただいた。
アルマトイまでは左右に荒野や草原が広がる。
途中、道端でトイレ休憩。ガソスタにも1度寄った。
ヤーシンさんは俺に煙草を一箱くれた。
夜22時、アルマトイ市内に到着。
ご家族は郊外に住んでいるのに、街の中心の宿の前まで送ってくれた。

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一生忘れないであろう1日。
朝8時過ぎ、叩いて起こされる。
起きると中国公安だった。一昨日と一緒。検問。
パスポートを見せるだけだった。
バスはホルゴスまではあと50kmぐらいの所まで来ていた。
その先も2度検問。
1度目はカザフ人だけ。
2度目は俺も含めて外国人だけ。外国人でカザフ人以外は俺だけだけど。
途中ホルゴス手前の街で半分以上の乗客が降りる。
実際国境まで行く人はバスの中でも一部みたいだった。
9時半ホルゴスのバスターミナルへ到着。
昨夜発車前に一緒に煙草を吸ったおじさんがカザフ人だと検問で知った。
おじさんとは車内のベットが上下で、車内でもちょこちょこコミュニケーションを取っていた。
おじさんは仲間とバスターミナル入り口へ向かっていて、カザフスタンへのバスに乗りそう。
追いかけて話しかけると、やはり国境を越えジャルケントまでのバスに乗ると言う。
一緒に連れていって欲しいと話す。
おじさんも俺も英語が分からないから、言葉は地名だけだけど。
バスターミナルへ入り、おじさんに続いてジャルケントまでのバスチケットを買う。
70元、1200円ぐらい。
これで白タクとの交渉をしなくていい。
歩いて国境まで行かなくていい。
ホルゴスから目的地のアルマトイまでは直通のバスは無かった。
ただジャルケントからアルマトイまでのバスは間違いなくある。しかも夜行もある。
乗り継げばアルマトイには絶対に行ける。
おじさんもジャルケントまで一緒だから国境も乗り継ぎも怖くない。
ただバスの発車時刻は書いていない。おじさんに聞いても分からないという。
これは人が集まり次第発車するパターンだった。
そしてバスターミナル入り口のセキュリティーチェックでライターを取られる。
ひとまずベンチに座って待つ。
おじさんに煙草吸いに行こうぜと言われるが、俺ライター取られたよと説明する。
おじさんは元々持っていない。
ひとまず二人で外に行き、おじさんは警備員のおばさんにライターが欲しいと話しかける。
すると警備員のおばさんは仕方ないわねみたいな顔して事務所からライター持って、俺たちにくれた。
なんでだよ、じゃあ俺のライター返せよ、というかセキュリティーチェックの意味無いだろとは思った。
おじさんとバスターミナルの端で煙草を吸う。
その後もおじさんと貰ったライターを共有する。
他のカザフ人にも煙草吸いに行こうぜと誘ってもらい一緒に行く。
前からそうだけど、これだけは喫煙者で良かったと思う。
日本にいた時から喫煙所は知らない人と仲良くなりやすいけど、これは万国共通だった。
昨夜おじさんと煙草を吸ったおかげで乗継ぎのバスに乗れる。
言葉はまったく通じないけど、疲れたなとか、寒いなとか、眠いなとかは話せる。
モンゴルの時もだけど、喫煙所で煙草吸いながらおじさんから、カザフ語のありがとうと、こんにちはを教わる。
発音が難しく、復唱するとおじさんは笑っていた。
おじさんは「ホッホ」と小さく独特な感じでよく笑う。
おじさんは朝、一緒にカザフスタンに行く友達らしき中国人から両替をしていた。
君は両替しなくていいか?と聞いてくれたが断っていた。
遠慮したのと、その時はあまり信用していない、というかレートで揉めたくなかった。
今更だがおじさんにやっぱ両替出来るかな?と聞くとすぐに友達を呼んでくれて両替してくれた。
レートも凄く良い。両替商ならしてくれないコインも替えてくれた。
バスをなんだかんだ3時間待ったところで、おじさんからバスの出発は18時半らしいと聞く…。
今から6時間後だった…。
待つしか無かった。チケット買っちゃったし。
カザフスタンに入れば時差は-2時間。ジャルケントに着いても夜行はまだ間に合うような時間帯。
ダメでもジャルケントに泊まればいい。
カザフスタンビザは30日。着けばなんでもいい。
そこから2時間待つと、なにやらみんな騒がしい。
おじさんの後ろで見ていると、バス会社らしき人に、大勢のカザフ人が詰め寄っていた。
話しの内容はまったく分からないけど、まぁ待ち時間が長すぎるし、そこそこ人集まってるんだからバス出せや的な内容だと思う。
そこからまた30分後、予定よりは3時間以上早くバスは出発することになった。
おじさんはそこまでも色々教えてくれたし、気にかけてくれた。
バスのトランクに大きな荷物を預けるには1元かかるし、預けなくてはいけないらしい。
俺は全ての中国元をカザフスタン通貨のテンゲに替えてしまった。
するとそれを知ってるおじさんは1元出してくれた。
テンゲで返そうとするが受け取ってくれなかった。
ホッホと笑っていた。ありがたい。
バスは荷物も人も積んでるのに発車せず、30分待たされて出発。
国境はすぐ近く。15分で着いた。
セキュリティーチェックを受けイミグレへ。
少し並んだけどすぐに出国スタンプは押してもらえた。
ただスタンプを押されると、中国公安の人に別室へ連れて行かれた。
別室の椅子に座らされると、貴重品が入ったサブバッグを開けろと言われる。
ここで分かった。手荷物の全検査だと。
他の日本人のネット記事にも何人か書いてあったから知ってはいた。
これはやられる人と、やられない人といるみたいだった。
運なのか、それとも初めてこの国境を通るからなのかは分からなかった。
最初はリュックの中の総チェック。
袋の中も開けて隅々まで見る。
そこに別の公安も来て、バックパックのチェック。
バックパックの底まで広げて、全部の袋も開けた。
そこからカメラ、PC、iPhone、iPadの写真の全チェック。
LINE、WeChat、それ以外のSNSも各種アプリの履歴も全部チェック。
LINE、WeChat、それ以外のSNSも各種アプリの履歴も全部チェック。
何見ているか覗くと怒られて座らせられる。
分かるよ。そういう場所に来ているのも分かって来てる。
新疆ウイグル自治区、俺が思うより色々遙かに難しいエリアだとは思う。昨日も実感した。
ただこれをやられて気持ちの良い物では無い。勝手に消されて困るデータもある。
ただやられるのなら、まだいい。
国境だし俺は外国人だから仕方ないと思う。
ただ彼らは俺の撮った写真を見て仲間内で笑ったり、完全に関係無いものまで長々見ている。
バックパックの中身を広げるだけ広げて、ぐしゃぐしゃにして、もう行っていいと言う。
リュックに入っていたノート。
それをもうOKと言われたからしまおうとしたら、違う奴に取り上げられて、仲間で読んで笑っていた。
ここまでで30分ぐらいだったと思う。
イライラはしていた。ここ数日のこともあった。中国だけでも4度目の陸路国境。ちゃんと緊張していたし、何があってもスンナリ抜ける事だけを考えていた。
ただ、彼らのやり方と態度には、腹が立ってしまっていた。
最後、全てが終わって解放された時に、散らかった荷物をまとめて忘れ物が無いか、部屋中を見渡している時に、俺は机の上の、公安の調書的なノートを雑に扱った。
投げたというか、どかして放ったというか。
腹が立っていることのせめてもの意思表示だった。
それがまずかった。当然だけど。
部屋中の公安に囲まれて、今の態度は何だと詰め寄られる。
「別に何の意味も無い。」と言っても、完全に囲まれる。
英語が喋れる、女性職員も大声で、「この部屋で、これ以上日本語を話すな。」と言われる。
部屋に入った時から、日本語の独り言はあった。
何の意味も無い、何の文句も無いと言っても通じなかった。
囲まれて、問答が続いていた時だった。
後ろの男の職員に思いっきり跳び蹴りを食らった。
いやいやいや、なんで?とアピールする。
蹴られて、今までで1番冷静にはなった。
これはマズいとも思った。
公安側も男と俺に割って入って止めようとした。
そこで部屋の雰囲気は終わる感じになった。
解放される感じになって、荷物を持って部屋から出た。
ここからは完全に俺が悪い。
職員に「あなた名前何て言うんですか?」と聞いた。
1度は冷静になっていたけど、完全に腹がたっていた。
そこから、再び別室送りだった。
別室で調書を取られる。
日本でのこと、ここまでのこと。
ここではさすがにマズいことになったと思った。
いつ解放されるかも分からない。
最悪、何日間か拘束されるかもしれない。
今日中にカザフスタンに行けるか分からない。
外で待っているバスには置いて行かれるのを覚悟した。
通訳の女性職員もいたから、英語の説明はあったけど、俺の英語力では全然分からない。
ただ、内容としては全て俺が悪いというのを認めろというような内容だった。
荷物検査も、蹴ったことも。
1時間ぐらい調書を取られ、最後に指で捺印をしたら解放された。
調書の内容は半分ぐらい嘘だけど。
職員の話では、また中国入国は可能みたいだった。本当かどうか分からないけど。
外に出ると、案の定バスには置いて行かれていた。
途方に暮れる。
ただ、次のバスがちょうど来ていて、話しを聞くとジャルケント行きらしい。
置いていかれたから乗せてほしいとお願いしたら、3000テンゲだと言われる。
2000テンゲに値切って乗せてもらった。
650円の損。
バスの発車まで国境の文句を他の乗客に言っていたら、その中の一人が、
アルマトイに行くなら俺が乗せていこうか?
と言ってくれた。ジャルケントからアルマトイに自分の車で行くから乗っていけば的な話しだった。
彼は中国人だった。
中国人の彼がジャルケントからアルマトイまで、なぜ自分の車で行って、なぜ今国境のバスに乗っているのかよく分からなかったから、その場では話し半分で聞いていた。
バスに乗って10分、カザフスタン側のイミグレに到着。
カザフスタン側は本当にあっけないものだった...。
みんなニコニコしていて、日本人だと言うと、サムライだと言われて、俺を切ってくれと言われたので切るマネをしたら喜んでいた...。
同じ国境でも、10分の距離でも全然違う。カザフ側の方が面倒臭いという話しもあったので拍子抜けした。
無事入国すると、俺を置いていったバスがちょうど止まっていた。
ウルムチから一緒だったおじさんにも再開出来た。
おじさんは心配してくれていた。
みんなに、中国側であったことを話すと、分かるよ、そうだよね的な顔をされた。
たぶんいつものことなんだと思う。俺だけじゃない。
しょっちゅう通っている彼らも、いつも越えるのに面倒臭い思いをしているみたいだった。
置いていったバスに乗っても、新しく乗ったバスにも乗っても、どちらもジャルケントには行く。
改めて、アルマトイまで乗せてくれると言った中国人に方に話しを聞くと、家族がアルマトイにいて、彼の家族が迎えに来るから乗せてってくれると言ってくれた。
おじさんと別れ、新しく乗った方のバスに乗る。
5分ぐらい走った所で降りる。
乗せてくれると言った中国人の方は、ヤーシンさんという名前だった。
30歳で、奥さんは同い年のカザフスタン人らしい。
奥さんと奥さんのお母さんが迎えに来るという。
5歳のお子さんがいて、アルマトイに住んでいるらしい。
待っている間、北野武が好きだとか、日本の曲が好きだと色々教えてくれた。
今の君にピッタリだと言って、玉置浩二を流してくれて笑った。
20分ぐらい待つと、奥さんとお母さんが迎えに来てくれた。
二人とも凄く優しくて、乗せてってくれることを快諾してくれた。
車に乗ると、お茶とたくさんの食べ物と果物をいただいた。
アルマトイまでは左右に荒野や草原が広がる。
途中、道端でトイレ休憩。ガソスタにも1度寄った。
ヤーシンさんは俺に煙草を一箱くれた。
車内では色々な話しをしてくれた。食べ物もたくさんいただいた。
ヤーシンさんと奥さんは中国語で会話し、奥さんとお母さんはカザフ語で会話し、俺には英語を話してくれた。
本当にさっきのことから、今のことでぐちゃぐちゃだった。
夜22時、アルマトイ市内に到着。
ご家族は郊外に住んでいるのに、街の中心の宿の前まで送ってくれた。
連絡先とSNSを交換して、日本にいずれ行くからその時は案内してねと。
ヤーシンさんはがんばれと日本語で文字を見せてくれた。
俺は途中のガソスタで買った僅かながらのお菓子を、お子さんにと渡した。
中国最後とカザフスタン最初の思い出が、この方達で本当に良かった。
中国最後が国境の思い出じゃなくて本当に良かった。
腹立たしくて、蹴ってきたのも中国人。
それを助けてくれて、優しくしてくれたのも中国人だった。
そして1日でたくさんのカザフスタン人に助けてもらった。
国境では絶対に文句なんか言ってはいけない。当たり前だった。
アルマトイに着いたからいいものを、もっとマズい事態になっていた可能性だってあった。
俺の英語力の低さも、文句を言ってしまったことも、馬鹿だった。
宿も無事に取れた。1泊6人部屋で480円。
荷物を置いて風呂だけ入って、ビールだけ買いに行った。
部屋に戻って、日本語で今日の事を誰かに話したくて、ラオス、タイ、ミャンマーと一緒に回ったカップルに久しぶりに電話した。こっちは夜中だけど彼らは俺より西にいて時差があった。
久しぶりの報告とこの先の漠然とした予定も話せた。
朝方、就寝。
長い1日だった。

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